認知症は、やはり自分がなるのも家族がなるのもつらいと思います。
できれば、自分らしく人生を全うしたいと考える人が多いと思います。
75歳以上になると、認知症罹患率が増えてきます。
また要介護認定者も75歳以上はふえています。
認知症や要介護になると家族にも精神的・金銭的負担があります。
周囲には、ほかの人にお世話にならなきゃいけなくなる前にぽっくり逝きたい、そういった人が多いです。
もちろんどうしたいかは多様性があって然るべきですが、延命治療を望まぬ人は多いです。
しかし親のこととなると話は別になり、本人が望んでいない治療やリハビリを頑張ってすすめます。
75歳以上に癌手術や化学療法、心血管系手術 等することは、
もちろんその時の合併症として起きることもありますが、
その後治療で延命できた分、認知症や要介護になる可能性は非常に高まります。
今のような「できることはすべてやる(やってあげたい)」医療では、高齢の親も子供世代も幸せにならない場合もあるのです。
1分1秒でもいいから、ただ長生きしてほしいという気持ちは、執着であって、愛情ではないと思います。
自分はしてほしくないのに、親には延命治療をするのは、
自分が悲しいからさみしいから、その重みに堪えられそうにないから大事な決断を先送りにしているだけです。
しかし向き合うのを先送りにすることによって、望んでいなかった状態になることもあるのです。
人はだれしも死にます。
死に向き合うことで、より自分らしい人生を送ることができると私は考えています。
親とどうしたいか話し合う、そうなったときどうするか考える
死ぬことは生き物として自然の摂理です。
命を大切にすることは、生きることに固執することではないのです。
大切なのはどう生きるか。
多くの人に、よりよい人生を送ってもらえたらと思っています。
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