介護訴訟や医療訴訟がますます延命治療につながる。 子供たちが希望が持てる未来のために

日本のこと

今は本人が延命治療を拒否していたとしても家族のだれかが、本人の死後なぜ延命治療しなかったのか、訴訟を起こすケースは増えています。

90歳の誤嚥性肺炎で、挿管処置をしなかったことに対して、医療訴訟があったこともあります。

また介護でも転倒して骨折したから介護訴訟、

嚥下障害のある高齢者に、本人が食べたいといったドーナツをあげて窒息して介護訴訟など枚挙にいとまがありません。

転倒しないように、ベットに縛り付け寝たままにしたほうがいいのでしょうか?

誤嚥や窒素しないように、点滴や胃ろうから、栄養を流し込むほうがいいのでしょうか?


日本には現在も上記のような寝たきり状態の高齢者が本当にたくさんいます。

1人当たり、ひと月100万円くらいの医療費・介護費を必要としたうえで、です。

若い人たちは、このような老後に希望がもてるでしょうか?

税負担にしても、もうこれ以上背負えないほどになっています。

海外では自分で食べられなくなったら寿命であり、

日本のように食事介助することすら“虐待”です。

いわんや 点滴、胃ろう、挿管 をやです。

海外では

食事を食べたくないときには食べなくていい。

窒息するリスクはあるかもしれないけど、食べたいものを食べる。

生きている間は人生を楽しみ、死ぬときは潔く死ぬ。

そのようなことは当たり前に受け入れられています。

私たちがしなくてはならないのは、

子供たちに人生は希望に満ちていると、見せてあげることではないでしょうか?

決して、若い世代を犠牲にして高齢者を支える姿ではないはずです。

↑久々に読みましたが、名作です。

自然な形の死を受け入れられる社会や、自立した老後の過ごし方ができる社会を作っていかなければ

ならないと強く思います。

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